富山GRNサンダーバーズから、阪神タイガースへ入団(2018年ドラフト6位)した、湯浅京己の、独立リーグ時代の映像をYouTubeにアップしました。
阪神タイガース・湯浅京己選手 独立富山時代の奮投
【地区優勝を懸けた決戦 チームの命運は湯浅に託された】
BCリーグは、西地区と東地区に分かれ、各地区で年間70試合程度のゲームを行っています。1シーズンは前期と後期があり、それぞれで優勝チームを決めます。前期と後期の優勝チームは、9月に地区チャンピオンシップを行い、その試合を制したチームが地区年間優勝の栄冠を勝ち取ることになります。
2018年のBCリーグ西地区は、前期は福井が、後期は富山が優勝し、この2チームで地区チャンピオンシップを争うことになりました。
地区チャンピオンシップは3番勝負で、先に2勝したチームが優勝となります。富山は初戦をエースの乾真大(元日ハム・巨人)が先発しましたが、乾は福井打線を抑えることができず、富山は初戦を落としました。
後がなくなった富山は、2戦目の先発に湯浅京己を送り出します。
順風満帆とは言えなかった湯浅京己の野球人生
湯浅京己は三重県出身、1999年生まれ。高校は福島県の強豪・聖光学院へ野球留学しましたが、入学して間もなく腰の成長痛で野球ができない体に。湯浅はマネージャーに転向して、そこから2年間、プレーから離れました。
高校3年になって、成長痛から解放され、投手としてプレーし、145km/hの球速を記録しましたが、夏の甲子園はベンチ入りすることはできませんでした。不完全燃焼の湯浅は、独立リーグでNPBを目指してプレーすることを決断しました。
そして独立Lへ 伊藤智仁との出会い
高校3年時のBCリーグのドラフトで富山GRNサンダーバーズから1位指名を受けました。当時監督だった吉岡雄二(元近鉄)とともに、ドラフトを担当した永森大士コーチは「湯浅はストレートの質が良く、その素質は群を抜いていた」と語っています。
このドラフトを最後に、吉岡雄二は富山を離れ、日ハムのコーチに。その後任として富山球団を指揮することになったのは、元ヤクルトの伊藤智仁でした。
伊藤は、高速スライダーを武器に社会人野球からNPB入り。力強い直球と、高速スライダーで華々しいデビューを飾ります。
しかし、多投が響いて故障し、わずか数か月の登板で一軍を去ります。その後もケガに泣かされ続けた伊藤は、悲運のエースと呼ばれました。
伊藤は、高速スライダーを武器に社会人野球からNPB入り。力強い直球と、高速スライダーで華々しいデビューを飾ります。
しかし、多投が響いて故障し、わずか数か月の登板で一軍を去ります。その後もケガに泣かされ続けた伊藤は、悲運のエースと呼ばれました。
伊藤は、2018年の2月にチームへ合流してすぐ、湯浅の素質を高く評価。その後はつきっきりで湯浅を指導しました。伊藤は「湯浅をNPBへ上げることが僕の使命」とまで言い切っています。
3番手の先発として 修行の登板続く
2018年の富山は、伊藤の指導により投手陣が充実。乾真大(元日ハム・巨人)とルイス・ラミレスが先発の2本柱となり、チーム防御率は断トツのリーグ1位を記録しました。
その投手陣の中で、湯浅は3番手の先発としてマウンドに上がりましたが、シーズン序盤は、なかなか結果を出すことができず苦しみました。4回頃までは、伸びのあるストレートを武器に力で相手打者をねじ伏せる力強い投球を見せるのですが、5回を過ぎる頃になると、球威ががくんと落ち、高めに浮いた球を狙い撃ちされマウンドを降りるという試合が続きました。
しかし、伊藤監督は一貫して湯浅を先発として起用し続けました。彼が将来、NPBの1軍ローテーションに入ることができる素材だと信じていたからです。湯浅はその信頼に応えるかのように、シーズン終盤の8月ごろから結果を出し始め、独立の打者を抑え込む試合が続きました。
湯浅がターニングポイントとして語ったのは、2018年8月25日(土)に行われた信濃との試合。先発した湯浅は、スピンの効いた力のあるストレートを低めに集め、この試合を7回6安打1失点に抑えました。
この試合について湯浅は「一年独立でプレーして、一番球が走っていた。7回を過ぎてもまだ投げられる状態だったし、スタミナがついていることも実感できた。」と後に語っています。
この試合について湯浅は「一年独立でプレーして、一番球が走っていた。7回を過ぎてもまだ投げられる状態だったし、スタミナがついていることも実感できた。」と後に語っています。
最上の状態で迎えた地区CS2戦目
野球人としてどん底の状態だった高校時代から、一歩ずつ山を登って行った湯浅。彼がそれまでの全てをぶつけて臨んだ試合が、今回YouTubeにアップした、地区CSの2戦目でした。
彼はこの試合で得た経験を糧に、阪神でさらなる飛躍をしてくれることでしょう。